「昼間から飲む日本酒って、最高に禁断で背徳的な味がする」――作家・清水浩司
――東広島市内の酒蔵を文豪・清水浩司がめぐる当連載、今回は春の番外編。2023年からスタートした東広島市の蔵開きをレポートする。秋の名物「酒まつり」とは似て非なる、春の新定番となりそうな「蔵開き」。さて文豪、果たして何を思うのか…?
朝起きて、某新聞の某テレビ欄の下にある某12月生まれの人の占いを読むと藪からスティックにこんなことが書いてあった。
「疲れを感じたら思い立って自分自身と対話を」
脇から飛び出してくる通り魔のようなメッセージ。一瞬むっとひるんだが、「自分と対話」という言葉が引っ掛かった。
――なあ文豪、最近調子はどうだい?
ここしばらく年度末ということで慌ただしく、ひとりでぼんやりする時間がなかった。私は本来、家族といても恋人といても必ずひとりになる時間が必要で、時折発作的に群れから離れてそこいらへんをあてもなくさまよい歩くことを習慣にしていた。
別にみんなが嫌いなわけじゃない。ただ、ずっと同じ場所にいると息が詰まる。気持ちがソワソワして体より先に心がハイハイしだす。精神的ADHD? いやいや、私は私と話をすることが好きなのだ。一番の旧友に会うように、たまに彼と2人きりの時間を作って積もる話をしたいだけなのだ。
――なあ文豪、最近面白いことはあったかい?
――あの問題は解決しそうかい?
――そもそもいま何を感じているのかい?
今日は予定のない土曜日。広島は桜が満開で外は花見客でいっぱいだろうが、だったら私はひとりで出かけよう。用もなく、あてもなく、私とゆっくり会話しよう。たまにはひとりぼっちで飲む酒という贅沢が私には必要だ。
そこらへんに新聞を投げ捨てると、私はふらふらと駅の方に向かった。
私が降り立ったのはいつもの西条駅だった。
そういえば今日「蔵開き」なるイベントをやってると、以前誰かが教えてくれた。犬も歩けばスティックに当たる。実際駅に降りてみるとまちにはポスターが貼られていた。
――なあ文豪、結局またここかい? 他に行くとこないのかね?
「東広島蔵開き」は去年からはじまった東広島の春の祭典。秋の「酒まつり」に対し、しぼりたての新酒が味わえるこの季節に新たなイベントを興そうというのだ。
――来てみたはいいがあんま祭りっぽくないね。普段の土曜日みたいじゃない?
そうだなぁ、と私も思う。4月最初の土曜日は花曇りの天候で、空も街もとろんと眠そうな空気が漂っている。すべてが全体的にモヤっていてシャキッとしてない。駅前の『むさし』にはこれからカープに行くのか、赤いユニフォームを着た人たちが列を作っている。だがロータリーに立っても華やかなお祭りムードは一向に伝わってこない。ポスターは貼られているものの、ザ・いつもの西条のザ・いつもの週末である。
――あ、結構人いるじゃん。ほら、インバウンドな人たちもあそこに。
酒蔵通りに入ると様子が変わった。そぞろ歩きをしている人たちがいる。首からカメラをぶら提げた外国人の姿も見える。集団になって歩いているのは地元ガイドが先導する「西条酒蔵通りガイドツアー」というやつか。
「あっ、文豪。お疲れ生です❤」←生酒の意
ただ、混んではいるけど混みすぎてはいない。賑わっているけど五月蝿(うるさ)くはない。まさに「ぬる燗」の盛り上がり。秋の酒まつりの人でいっぱい、町中が酒臭くなるようなハイテンションとは根本的に違っている。それは今回の蔵開きが毎週2~3蔵ずつと分散開催しているせいもあるだろうし、春のうららかな気候がそうさせているせいもあるのだろう。ほどよく隙があって、ほどよく御機嫌で、ほどよくポカポカしていて、ほどよく理性も残っている。ああ私が一番好きな按配。だから春が好きなのだ。
なにやら建物の中から音楽が聞こえてきた。
何も考えてないので足が勝手にそっちに向かう。今日は白牡丹酒造と福美人酒造の蔵開き。福美人の恵比寿庫のまわりには人だかりができていて、蔵の中でコーラスグループが歌っていた。あたりでは地元野菜などがマルシェのように売られていて、私はやっぱり何も考えていないので新酒しぼりたてをあおってしまう。うーん、すっきりしていてフルーティ。昼間から飲む日本酒って、最高に禁断で背徳的な味がする。
――見ろよ文豪、ここにいる人たちみんな、手にプラスチックの御猪口持ってるじゃん。「プラちょこ」でチョコチョコ。この風情のなさはどうなのよ。
馬鹿だねおまえも、この行楽ムードがいいんだよ――と次第に自分との会話も弾みはじめる。ステージ、次は井上陽水似のおっちゃんの弾き語り。♪気絶するほど悩ましい~ってこの歌なんだっけ? あ、Charか。ここは屋外スナックか。よいね。みなさん、お元気ですか~~~~。
音楽といえば、またふらふら歩いていたら「もうすぐ太鼓はじまりますよ」と揃いのハッピを着た人たちに声を掛けられ、ほろ酔いだから言われた通り中に入った。そこは白牡丹の延宝庫。蔵の前に4人の演者が並び、力強い和太鼓演奏がスタートする。
私は今度は白牡丹の新酒を片手にじっくり演奏に聴き入った。下ッ腹を揺さぶる大太鼓の振動に、横笛、銅鑼、小ぶりのシンバルのようなジャンガラの高音が絡みつく。引き締まったバチさばきに手に汗握るアンサンブル。いや、お見事。かっこいいよ、広島市内から来た「太鼓本舗かぶら屋」の太鼓演奏!
音楽がいいから酒が進むのか、酒が入っているから高揚感が増すのか、とにかく酒と音楽のペアリングは何物にも代えがたい。またそれが蔵出ししたばかりの新酒で、たまたま出会った音楽で、しかも演者の後ろには「創業三百年碑」と彫られた石碑が建つ長い歴史に見守られた会場で、さらに今がみんながニコニコしている春の晴れた昼下がりであるのなら、これ以上の幸せなんて地上に存在するだろうか?
――結局さ、ゆるさよゆるさ。弛緩はアカン? ゆるさは寛容。寛容を認めない人はいカンヨウ……。
結局私はたんまりと吞んでしまった。お燗や炭酸割りなど飲み比べを楽しむという名目の「日本酒ワークショップ」に参加し、試飲会場に顔を出せばあれもこれもトライ。小ぶりの「プラちょこ」ゆえ気が緩んだのか、もはや財布の紐はあってないようなもの。人の形はしているが、正体はずーるずるのぬーるぬるである。
それでも私はなおも酒に齧りつこうと、白牡丹内の古民家を利用した仮設居酒屋で一杯やっていた。以前取材した安芸津の「マルイチ商店」の美味すぎる牡蠣のレモンオリーブオイル漬けをアテに、ひとりグラスを傾けていた。
「ゆるーい感じでね、手つなぎオニをやろうよってことなんです」
手つなぎオニとは石井さんらしい表現だが、つまりそれぞれの酒蔵が順繰りに担当して日本酒愛好者を増やしていきましょうってことなのだろう。「秋の酒まつりと同じことやってもしょうがないですからね。こっちはゆっくりお客さんと対話して、ファンベースを構築していこうと思うんです」。そんなことも言っていた。でも目指すところは、ゆるーい感じでいい、と。
呑んで騒ぐ酒もあれば、呑んでふわふわ漂う酒もある。酒の楽しみ方だってみんなちがってみんないいと思うのは金子みすゞイズムを継承する私も同じだ。でも今日はどっちかというと後者の気分だ。
――文豪、今日はいつもより西条の街が優しい感じがするねぇ。
――そうだね、いつもより優しい感じだねぇ。ここにいる老いも若きもみんな少しずつ酒で緩んでいて、みんながこれくらい緩んでいたら世界はもっと平和だろうに。
――世界が四月の週末の程よいほろ酔いであるならば。
――そう、世界がいつも四月の週末の程よいほろ酔いであるならば。
西条格子の向こうに見える外の景色はまだ明るい。やっぱり白くモヤっていて確かなピントを結ばない。景色も意識もとろりと溶け出してはっきりしない、右も左もすべてがゆるい、それが春の酒である。
――……あ。
――どうした?
――いま何か思い出そうとしたんだけど、それが何だったか、何を思い出そうとしてたんだか……それも忘れた。
――困ったね。もうちょっと粘ったら思い出せる?
――もう一杯呑んだら思い出せるかも。
――いや、それむしろ忘れる方向に働くような気がするけど。
私は私とむつみ合う。ひとりぼっちが、むしろいい。だけど彼も私も気持ちよく酔わされてしまって、このまま何もかもがどうでもいいような春の風に吹かれているのだった。
4月6日(土)/西条「白牡丹酒造」「福美人酒造」
4月13日(土)/西条「亀齢酒造」「西條鶴醸造」
4月20日(土)/西条「賀茂泉酒造」「賀茂鶴酒造」「山陽鶴酒造」
4月27日(土)/安芸津・黒瀬「今田酒造本店」「柄酒造」「金光酒造」
しみず・こうじ/作家・ライター・編集者。1971年生まれ。2019年、小説『愛と勇気を、分けてくれないか』(小学館)で第9回広島本大賞受賞。スペイン・サンティアゴ巡礼を軸にした3ヶ月に及ぶ旅の模様をnote「ぼんやりした巡礼」にまとめる。
「目をこらせば、ほら、いま私たちが歩いているこの道を、かつての侍や町娘たちも笑いながら歩いていくようじゃないか」――作家・清水浩司
宮地杜氏はいつもニコニコ。想像に反して仔猫のように人なつこい。
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