「誰かと誰かが杯を重ね、語り合う場が蔵のまちには当然のようにあったのだ」――作家・清水浩司
――「人と人とをつなぐ日本酒」をテーマに記事を書こうと、酒蔵通りを訪れた作家・清水浩司。雨宿りの最中に出会った不思議な男に招かれた、その先には……。 2023年最初の「蔵のあるまち」、幻想小説風にお届けします。
あけましておめでとうございます――と書いてはみたものの、これが読者の目に留まるのはいつのことだろう。文化人崩れが酒処・西条をそぞろ歩いて、あることないことを書き散らす連載も年をまたいで4話目となる。
さて、酒呑みの根本的な資質を問う質問に、あなたが好きなのは一人呑みか多人数での宴会か、というものがある。
「わたしお酒好きなんですぅ~」
とのたまう人たちによくよく話を聞いてみると大抵後者であって、「あなた、それって酒好きというより“酒の場好き”ですよね? または酔って騒ぎたいだけ?」ということが少なくない。
ある種のパリピにとって酒とは場をアゲ×2かつ気分上々↑↑ミヒマルGTにするための必須アイテムであり、なんなら酒の勢いなど借りて一夜限りの間違いを起こす輩もいるという。うらやましい。まったく、「シラフの1回はベロベロの5回」(©さや香)とはよく言ったものである。
ただ、私はここで「そんなのは邪道。真の酒呑みは一人孤独にクーッと味わうモン」みたいな説教をぶちかましたいわけではない。一夜限りの間違いにご無沙汰しているからといって欲求不満に陥っているわけでもない。
私は一人でふらふらとさまよい、独り静かに酒を吞むことが好きだが、それは人を遠ざけるというよりむしろ人を親身に感じたいからという側面が強くある。遠くにいる誰かのことを想う。身近にいる人との日々を噛みしめる。毎日は時折カオスすぎて、澄んだ心地と素直な人恋しさがほしくなる。それにはやはり酒の力が必要なのだ。
だから雑踏を離れていても、私は人といる。むしろ独りで酒が進むほど、人を探し、人を感じている。
それは「酒宴」とは異なるかもしれないが、人肌感覚の混在する「酒縁」と呼んでみるのはありかもしれない。
今回のテーマは、その「酒縁」である。
正月明けのその日、私はいつものように酒蔵通りを歩いていた。朝から雨が降っていたが、冷たい雨ではなく、それでも翌日まで続く長い雨になりそうだった。空も黒雲というほどではないが、薄いグレーに覆われて、明るいのか暗いのか、だまされているような午後三時である。
私は強くなりはじめた雨に一軒の軒先を借りて雨宿りをした。そこは酒蔵の入口らしく奥に向けて通路が伸び、建物には古い日本家屋特有の湿った空気が充満していた。
奥から人があらわれた。男は作業着を着て、この蔵で働いている人のようだった。
面白いものを見せてやるからついてこい。
男はぶっきらぼうにそう言った。私はなぜかその言葉に従い、男について建物の中へ入った。
奥に進むにつれ闇はどんどん深まった。蔵の作業場のようなところを通り、ドアを開けると住居の玄関に出た。靴を脱いで床を踏む。初めて会った人の家にあがる戸惑いが足先に伝わった。
あっ!
それが現れたのは、一体どんな建て増しをしているのか、何度も曲がる廊下に方向感覚が完全に失われた頃だった。
ぐるぐると渦を巻く白洲と、小島のように点々と置かれた石。苔のむす大岩……。
暗い日本家屋の向こうに突然見事な枯山水が姿を見せたのだ。
私はその場に立ちすくんで庭を見つめた。男は説明をはじめた。ここは「寿延庭」と呼ばれる庭であること。有名な作庭家である重森三玲(しげもり・みれい)の作であること。県の指定文化財であり国の登録記念物でもあること……。
「この庭、普段は公開してないんです。祖父や父の代の時、取引先の方が来られた際に宴会場として使用していて。ジュンチャンもここに来たんですよ」
「ジュンチャン…とは?」
「はい、小泉純一郎さん」
「『あれやってくださいよ』ってお願いしたら『感動した!』ってやってくれて(笑)。他にも瀬戸内寂聴さんに加藤登紀子さんも……」
あまりに雲の上の名前ばかりで現実感がまったくない。元首相がこの家に来て、庭を見ながら「感動した!」って……しとしとと降り続く雨が、白砂の描く幾何学模様に吸い込まれていく。庭の隅には石碑が建ち、そこに達筆が彫られていた。
寒庭に 白砂敷きつめ 酒づくり ――誓子
誓子ってまさか山口誓子? 誓子もこの家に来たの? というか、この句、まさにここで宴会やりながら詠んだ句じゃないか。ちょうど庭の向こうに酒蔵のなまこ壁が見えているし……。
ここはパラレルワールドか、タイムマシーンにでも乗ったのか。気のせいかもしれないが、入口には「賀茂泉酒造株式会社」と書いてあったような気がする……。
気が付けばあたりはすっかり夜になっていた。私はいつの間にか西条駅前に立ち、さっきより激しくなった雨の中をビニール傘片手にさまよっていた。
私は街灯の滲む幻影的な光景を歩きながら考えていた。
いつの時代も酒は人をつなぎ、時にそれは豊潤な文化を生んだのかもしれない。誰かと誰かが杯を重ね、語り合う場が蔵のまちには当然のようにあったのだろう。それはこの街並からは想像もつかない庭のそばでも、場末の酒場でも――。
酒縁のことを想うと、やたらと酒を呑みたくなった。
ふと「美酒鍋」と書かれた提灯が目に入った。
西条といえば美酒鍋。よし、今夜はここにしようと「蔵処 樽」ののれんをくぐる。テーブルに案内され美酒鍋を注文する――が、この店は自分で作るシステムらしい。
鍋というからには具材を全部ブチ混んでぐつぐつ煮ればいいのだろう、と思いながら皿に手をかけたとき、向かいの扉がガラリと開いた。
「あれっ?」
店に現れたのは庭を案内した男だった。普段着に着替えた男はさっきと同じ人物とは思えない。だが男は当たり前のように近づいてきて、慌てた声で言う。
「あー、“びしょ鍋”の作り方、間違ってますね!」
ん? ビショ鍋? ビシュ鍋の間違いでは? この人、なんか訛ってないか?
「僕が“びしょ鍋”の見本、見せてあげますよ」
そこからは「男」改め「賀茂泉酒造」代表取締役社長・前垣寿宏さんの独壇場となった。
「そもそもこの料理は蔵の人のまかないメシで、お上品な料理ではないんです。“びしょ”っていうのは酒蔵で下働きする人の総称。冷たい水を使って洗い物をしたり重たい荷物を運んだりして汗びっしょりなることから、そう呼ばれてて――」
美酒鍋は当て字で、本来はびしょびしょになって働く“びしょ”の鍋、だから“びしょ鍋”だったとは!
「この鍋にはポイントがあって、ひとつめはピーマンとか玉ねぎとか普段鍋に使わない食材を入れること。2つめは日本酒はちょっとでいいこと。美酒鍋って鍋って付いてるから汁っぽい鍋のように思われるかもしれないけど、本来はチャンチャン焼きと同じで日本酒で蒸し焼きにする料理なんです。で、余った酒は吞んじゃえばいいんです!」
え、美酒鍋って鍋じゃなくって蒸し焼きなの?――気付けば前垣さんはとなりに座って乾杯。というか、寿延庭のときと打って変わってめちゃくちゃ楽しい人じゃないか。
「創業者のひいおじいさんは自分の作る酒を指して『この酒は悪い酒じゃ』って言ってたんです。『何が悪いんですか?』って聞いたら『やめたいんじゃけどやめられんのじゃ。向こうから寄ってくるんじゃ』って(笑)。まず自分自身が自分の酒の一番のファンで、それを人から美味しいねって言われるのが一番嬉しい人だったんです」
酒が好き。酒を通じて人とつながることも好き。「呑みニケーション」が敬遠されがちな昨今だが、酒がとりもつ人との縁は心地よい時間を創り出す。
やはりどうしたって酒と人とは切っても切れない。ほろ酔いの先に生まれるサムシングを、やはり私も期待しているのか。
「焼き牡蠣、蒸し牡蠣、前垣!」
「歯磨き、絵葉書、前垣!」
「渋柿、悪ガキ、悪あがき!……」
宴は深まり、気付けば前垣さんの自己紹介一発ギャグをその場のみんなで考える会になっていた。一体なんなんだその会は。大の大人が雁首並べて何に知恵を絞っているんだか。もちろんそれも酒の仕業だ。人と酒の交差点に、今日も人々がやってくる。
一夜限りの間違いを繰り返す人たちを私は愛す。
住所:東広島市西条栄町7-48/営業時間:11:30~14:00、17:00~23:00/定休日:月曜
●しみず・こうじ/作家・ライター・編集者。1971年生まれ。2019年、小説『愛と勇気を、分けてくれないか』(小学館)で第9回広島本大賞受賞。現在RCCテレビ『イマナマ!』コメンテーターなどを務める。
日本酒と相性抜群のもう一つの名物・春牡蠣の香りとともにお届けします
「飲み放題じゃけえみんなこっそり酒を持って帰ろうとして大変じゃったよ~。ズボンのポケットやら上着のポケットに日本酒の瓶を突っ込んでからに!」
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