「俺、まさにズリズリのドツボにはまってない?」――作家・清水浩司
――春爛漫。今回の「蔵のあるまち」は、作家・清水浩司が安芸津へ。広島の水質に合った酒を醸す方法を編み出し「軟水醸造法」の租と称される酒造家・三浦仙三郎が生まれた町です。かつて20以上の酒蔵があり、「安芸津杜氏」と呼ばれる造り手を多数輩出した安芸津。日本酒と相性抜群のもう一つの名物・春牡蠣の香りとともにお届けします。
♪は~るいろの~汽車に乗おおってえ~
海に~ぃ、連れて行ってよぉ~Wow~
レトロな流行歌が口をついて出る3月。線路の脇のつぼみに赤いスイートピーは見えないが、紅白の梅が今を盛りと咲いている。
私が乗ってきたのは春色の汽車ではなく赤色の電車、いわゆるひとつのRed Wingである。しかし私にとって春色の汽車といえば呉線になる。海沿いの線路をゴトゴト走る。正面に江田島を臨む呉までの行程も楽しいが、もっと楽しいのは広から三原に至るローカルラインだ。時が止まったような漁村の間を縫いながら、向こうにとびしま海道~大崎上島~しまなみ海道の影が流れていく。まさしく春にぴったりのうららかさである。
ああ、今日も海はキラキラと光り、昼寝を誘うように凪いでいる。本当に世界広しといえど、こんなにきれいでボンヤリした風景はないんじゃないだろうか?
♪あいうぃるふぉろゆ~
あぁなぁたにぃ~ついてゆきたい~
あいうぃるふぉろゆ~
ちょおっぴりぃ~気が弱いけど素敵な~人だから~
気付けばココロで大声で歌っている。この歌の主人公、なーんか瀬戸内海みたいだなぁ……なんてとりとめもないことを考えていたら目的の駅に着いていた。
ということで今日の目的地、ドン!
この「蔵のあるまち」、これまで4回は西条の酒蔵を探訪してきたが、今回は安芸津である。2005年の平成の大合併によって東広島市に編入。盆地が広がる東広島、唯一のシーサイドエリアが安芸津になる。
もちろん安芸津に来たのも蔵のためだ。実は安芸津は「広島杜氏のふるさと」とも称される。軟水醸造法の祖・三浦仙三郎の出身地であり、江戸時代から酒造業が盛んだった。しかし鉄道の発達により、多くの酒蔵は交通の大動脈・山陽本線に近い西条へと移動。今や安芸津はかつてのメッカとして、2軒の酒造メーカーを残すのみになっている。
私は安芸津駅に降り立った。がらーんとしている。平日の午後ということもあってか誰もいない。だけど荒廃している雰囲気はない。古くなったけど、そこに手を入れて丁寧に暮らしているという街並だ。駅を出て左手、「レストラン ちどり」がある横丁に、かつてこの町が賑わっていた頃の痕跡が感じられて、思わず吸い込まれてしまう。
ふらふらと町を歩いていたら、巨大な杉玉のある日本家屋が目に入る。どうやらこれが現存する安芸津の酒蔵のひとつ、柄酒造らしい。
「あのぉ…何やってるんですか…?」
このお方、柄総一郎さん(39)。
柄酒造9代目との出会いは突然に。そのまま蔵の上がりかまちに腰かけ、柄さんの話を聞かせていただくことになった。
田舎が嫌で地元を飛び出した10代、東京で照明デザイナーとして働きまくった20代、しかし30代に入った頃、柄さんの心に変化が訪れる。「長男の自分が蔵を継がないと伝統が途絶えてしまうのではないか……」。しかし帰ろうかと提案した柄さんを父ははねつけた。「年々消費量が落ち続ける日本酒業界。おまえが帰ってきても食べていける保証はない。わしの代で畳んでもええわ」。共に相手を思いやりながら言葉はあべこべにすれ違う――春の午後に語られると、まるで優しいおとぎ話のように聞こえる話だ。
転機は2018年7月の西日本豪雨だった。安芸津も甚大な被害を受け、柄酒造も母屋や酒蔵が1メートル以上浸水。「これでやめてもご先祖さんは誰も文句言うまい……」。父は廃業を覚悟したが、それを引き留めたのが地元・安芸津の人たちだった。「おまえは家の方をやっとけ。蔵の泥かきはわしらがやるけん!」。酒造は昔から近所の寄合所。地域の相談事は寄せられるし、家で酒盛りが行われることもしょっちゅうという町民にとって重要な場所だったのだ。
被災の1ヶ月半後、父が東京に来て柄さんの前に見積もりの束を置いた。そして一言。
「おまえがほんまにやるんじゃったら、蔵を直そうと思う」
2020年、柄さんは故郷・安芸津に帰ってきた。今は父に酒の作り方を学びながら、9代目蔵元杜氏として酒造りに励んでいるところだ――。
「僕は代で数えると9代目ですけど、感覚的には1代目なんです。豪雨の時、地域の人がいなければ柄酒造はなくなっていたはず。だから地域の人が頑張って遺してくれた大切な場所に、僕がたまたま番として戻ってきた感覚なんです。『柄さんところのが頑張っとるみたいじゃのう』みたいなことを町の人が少しでも感じてくれればいいなって思います」
酒蔵は町に紐づき、柄さんも“安芸津の子”として生きている――こんな話を聞いてしまったら、安芸津の酒が吞みたくて仕方なくなった。柄さんが醸造した酒を、ぜひともいただきたい。
「だったら知り合いのところに行きましょう。酒と一緒に味わってもらいたい、安芸津のもう一つの名物をご紹介します」
柄さんと向かったのは呉線と平行して海沿いを走る国道185号。年季の入った工場や民家が並ぶ中、突如おしゃれな建物が現れた。
「いやー、急にごめんね!」
ここは牡蠣の卸売・加工を行っている「マルイチ商店」の直売所「オイスターキッチン」。そう、安芸津といえば牡蠣の町でもある。
「安芸津は湾(三津湾)に流れ込む川が少ない分、身が小ぶりで。ただ海がきれいなので、EU向け輸出が許可されているのは広島で三津湾産だけなんです」
柏迫さんは柄さんの1学年下。小学校も同じで、柄さんが帰って来た際は真っ先に駆け付けたという。聞けば「マルイチ商店」も明治30年創業という老舗。いったん町を出たものの後ろ髪を引かれて戻ってきて家業を継いだことも同じで、シンパシーを感じるところがあったのだろう。
そんな「マルイチ商店」の春牡蠣と柄酒造の酒のペアリングを本日は愉しませてもらえるという。つまり、安芸津づくしだ。
「2~3月の牡蠣は身がぷりっとして、味も熟してます」
「安芸津は年末からカキカキカキカキ!って感じで(笑)。この町と牡蠣は切っても切れないです。地元の人は2月くらいからが美味しいと分かってますからね」と柄さん。
昨今だいぶ浸透してきた春牡蠣のタイミング。柏迫さんが開けてくれた生牡蠣を口に放り込み、そのままくいっと酒をあおる。ああ、口の中に広がる磯の香り、そこに流れ込む豊潤な味わい、得も言われぬミクスチャー……。海と山の逸品がとろけ合う恍惚は、一度試してほしいと願わずにいられない。
お酒は柄さんが手掛けたフレッシュな生酒「9代目於多福 純米」(写真左)、落ち着いた味わいがクセになる「於多福 純米」(中央)、19.5度という高度数を誇る「関西一 しぼりたて 本醸造」(右)の3本を試飲した。呑み比べると、それぞれの違いが引き立つ。
どれも違ってどれもいい……のだが個人的には水をはじく若肌よりしっとり吸い付く熟女肌「於多福 純米」にZOKKON命と書いてゾッコン・ラブ(©シブがき隊)である。「これは親父がずっと作ってたズリズリずっと呑む酒で――」。わかる。まさにズリズリのめり込む底なし沼。このまま瓶を抱えて誰にも渡したくない欲望に襲われる。
さらに柏迫さんのご厚意で「マルイチ商店」の人気商品とも合わせてみることに。
出た! 牡蠣のオイル漬け!
……うまっ。うますぎっ!
牡蠣の旨味にオイルが染みて凝縮。濃厚でガツンとくる味わいは酒のアテとして天下無双である。チーズ入りのオイル漬けも同様。ああ、うまい、うますぎる……そしてお気に入りの「於多福 純米」、近う寄れ、もっと近う寄れ……俺、まさにズリズリのドツボにはまってない?
「安芸津は……とにかく景色がきれいだと思います。山から見ると牡蠣いかだがあって、島があって、海が広がって。のどかな瀬戸内海は本当に魅力的ですよ」(柏迫)
「瀬戸内海は一周回って好きです(笑)。僕の奥さんは知床出身だからオホーツク海とか見てて。でもこんな穏やかな海はここしかないし、今はどの海を見ても安芸津の海が一番だと思います」(柄)
住所:東広島市安芸津町木谷5682/営業時間:9:00~17:00/定休日:月曜
取材後、改めて海が見える場所に立った。今日も瀬戸はのんびりとうららか。ぽかーんとしていて、何も起こらない。
若い日にはつまらなく思えたこともあった。どうしようもなく退屈に思えたこともあった。しかしどうしてだろう。今はずっとこの海のそばにいたいと心から愛おしく感じてしまう。やっぱり、瀬戸は春が一番だな――。
と、どこからともなく一枚の紙が。
ん? KURABIRAKI……蔵開き??
わざとらしい“回またぎ”の手法で、次回「蔵のあるまち」Season1、いよいよ最終回を迎えちゃう!?
しみず・こうじ/作家・ライター・編集者。1971年生まれ。2019年、小説『愛と勇気を、分けてくれないか』(小学館)で第9回広島本大賞受賞。現在RCCテレビ『イマナマ!』コメンテーターなどを務める。
(蔵のあるまちVol.6 KURA BIRAKIのあるまち)
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「誰かと誰かが杯を重ね、語り合う場が蔵のまちには当然のようにあったのだ」――作家・清水浩司
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